助ける側だった自分が、助けられる側に——元救急隊員が適応障害と向き合う日々

かつて私は、十数年にわたり救急隊員として活動していました。

多くの命に向き合い、どんなに過酷な現場でも冷静さと判断力を求められる。

そういう『助ける側』としての人生でした。

でも今、私は『助けられる側』になりました。

消防を退職後、まったく新しい業種に転職し働きはじめました。

最初は「新しい環境でまた頑張ろう」と思っていました。

でも、入社してすぐに感じた違和感——それが次第に大きなストレスとなり、体と心を静かにむしばんでいったのです。

ある時期から、明らかに体調に異変を感じるようになりました。

仕事中は動悸や吐き気、不安感に襲われ、休日もまったく休んだ気がせず、ついには運転中に赤信号を無視してしまうような、危険な症状も出始めました。

これはもう、自分でどうにかできるレベルではない

そう思い、医療機関を受診。

下された診断は『適応障害』でした。

目次

■ なぜこのブログを書こうと思ったのか

救急隊という立場にいた私は、心の病に対して多少の知識はありました。

でも、いざ自分がその立場になってみると、

「何もできない」「助けてと言いづらい」「普通に過ごすことが罪悪感になる」

そんな葛藤ばかりでした。

また、家族や周囲の人たちが悪いわけではないのに、どこか理解されていないと感じてしまう自分自身にも苦しみました。

このブログでは、

  • 元救急隊員が適応障害と向き合う姿
  • どうやって限界を迎えたのか
  • どうやって立ち止まり、考え直したのか
  • 休職中の生活や葛藤、回復までの道のりを、正直に綴っていこうと思います。

■ 誰かひとりにでも届けばいい

適応障害やうつ、メンタル不調に悩んでいる方は、決して少なくありません。

でも、多くの人が「まだ頑張れる」「自分が弱いだけだ」と無理をしてしまいます。

私もそうでした。

「家族がいる会社だし」「言えば面倒になる」「逃げたいと思うのは甘えだ」

そんな思考が自分を追い込み続けていたのだと思います。

このブログが、

「あなたの気持ちは間違っていない」

「一度立ち止まっても大丈夫」

そんなメッセージとして、届けばうれしいです。

少しずつ、少しずつですが、自分自身を回復させていく過程を、ここに記録していきます。

同じように悩んでいる誰かの「心の安全帯」になれたら——。

それが今の私の、ささやかな目標です。

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【第2話:背景編】「なんか変だな」と思いながら働き続けた——適応障害の始まりは“違和感”だった

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