消防職員として働いていた頃、私は何度もこう思った。
「この訓練は本当に意味があるのか?」
特に救助大会に向けた訓練の日々は、仲間と汗を流し努力する一方で、心の中では「現場には役立たないのではないか」という疑問が膨らんでいった。
消防の活動は、限られた人員と予算の中で行われている。
だからこそ、本当に必要なものに時間とお金を使うべきだと考えていた。
そんな私にとって、『救助大会』というイベントほど無駄なものはないと思えてならなかったのだ。
現場とはかけ離れた“お決まりの競技”
救助大会は一見、隊員の技術向上に役立つように見える。
だが実際には、その多くが現場とはかけ離れた『お決まりの競技』だ。
- 安全が確保されたコース
- 予測できる障害物
- 何度でも繰り返し練習できる環境
現場で求められるのは、こうした整った条件下での動きではなく、『予測不能な状況への対応力』だ。
実際の火災や災害現場では、視界は煙で奪われ、足場は不安定で、次に何が起こるか誰もわからない。
大会の競技では、その本質的な力を磨くことは難しいと感じていた。
膨大なコスト、本当に意味はあるのか
救助大会に割かれる予算は決して少なくない。
私が在職中も、大会のために相当な費用が投じられていた。
「もしこの費用を、日々現場で働く職員のために充てられたなら――。不満の声も少なくなるのではないか」
そう考えずにはいられなかった。
さらに、大会に向けた訓練期間は膨大だ。
数か月にわたり、出場隊員は勤務時間だけでなく非番日までも使って練習に時間を費やす。
私はその姿を見ながら、「その訓練時間を、実践に即した訓練に充てることこそが消防としての基本ではないか」と思っていた。
そして忘れてはいけないのは、大会に出場しない職員へのしわ寄せだ。
出場隊員が練習に専念しているということは、残された職員が日常業務をカバーしなければならない。
人員が限られている中で、この負担は決して小さくはない。
「大会が終わるまで、ずっと人手不足のままか」と思うと、救助大会に参加していない側がが疲弊してしまうのも無理はない。
大会を盛り上げる一方で、現場を支える人たちに大きな負担がのしかかっているのもまた事実なのだ。
大会はアピールの場? それとも自己満足?
救助大会は、消防の活動を地域にアピールするという目的もある。
たしかに大会映像を見た市民から「すごい!」「かっこいい!」という声が上がるのも事実だ。
しかし、私は疑問に思っていた。
「消防の魅力を伝える手段は、本当に大会しかないのか?」
地域住民と直接関わり、防災意識を高める活動の方が、災害時の被害軽減には直結する。
防災訓練や地域との交流イベントの方が、よほど住民にとって意味があるのではないだろうか。
そう感じていた。
努力を否定するつもりはない
ここまで書くと、大会そのものや出場する職員を否定しているように思われるかもしれない。
だが、それは違う。
私も過去に救助大会に向けて訓練していた一人だ。
仲間と共にタイムを縮めるために汗を流し、何度も挑戦と失敗を繰り返した。
その過程で得た絆や達成感は、今でも忘れられない。
だからこそ、決してその努力を否定したいわけではない。
むしろ、その労力や情熱が「現場力の向上」や「地域防災の啓発」といった活動に向けられたなら、どれほど大きな力になるだろうか。
そう思わずにはいられないのだ。
結論:消防の使命を見失ってはいけない
救助大会は華やかに見える。
しかし、現場力の向上や地域の安全確保という本来の消防の使命から見ると、あまりにも費用対効果が低いのではないだろうか。
消防の役割は「競技で勝つこと」ではなく、「命を守ること」だ。
だからこそ、今こそ冷静に考えるべきだと思う。
限られた人員と資源を、どこに使えば最も効果的なのか。
その答えは、本当に救助大会の中にあるのだろうか。
次の記事の予告
しかし消防を離れてから、私はあることに気付かされました。
外の世界から救助大会を見たとき、そこには内部にいたときには全く見えていなかった価値があったのです。
次の記事では、その気付きについて書いていきます。
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